ホームと言う居場所

∞UPPERSライブDVD発売めでたい!きゃっきゃっ!
ブルーレイショックすぎて、まだDVD自体の感想は湧いてきません。ブルーレイでの光景を思うたび涙しか出ません。(・・・)なので、ずっとこのツアーにおいて考えるのをやめていたこと、”ドーム公演とアリーナ公演でのセトリ変更”について書こうと思います。




私はドームでセトリが変わった時、確かにショックでした。だって今回のユニットはとても楽しかったから。それでいてかなり意味のあるユニットである気がしたから。
だけど、何にも考えてなかったらわざわざそのユニットを削ってまでセトリを一度やった事のある、しかもわりと最近やった曲にしたりしないなあと思ったんです。それがどんな意図にしろ、「エイトの近くにいる人」または「関ジャニ∞本人たち」の何らかの意図がはたらいてわざわざセトリを変えたのだったら、それについて私はあんまり文句を言う気はありませんでした。
もちろんそれは、自分は両方現場で見た、という安心感の上で言っているんですが。


でも、ぱちあぱドームDVDを見ていて、じゃっかんまーが終わった後の2曲と、テクノメドレー終わってからロックメドレーの前らへんまでを、初めて再生するにもかかわらず、「あ、飛ばしたいな」と思ってしまったんです。



アリーナセトリの流れは本当に見事でした。もちろん今となっては見れないという思い出補正付きだけれど、本当に見事だった。息もつかせぬハードボイルドでギラッギラしたエイトからのダンスナンバーモノグラム、そしてそこからの2010年のエイトの名刺曲LIFE、バンドでのBaby Baby。ウインクキラー明けで、使いどころに迷うシングル達をここに持ってきて(しかもズッコケをちゃんと踊る)、中だるみさせる暇もなくユニット。ベテランコーナー明けでのテクノメドレー。可愛らしく終わったとおもったらロマネ。そしてロックメドレー。
こうやって思い出しながら書いてるだけでもわくわくするくらい完璧な流れでした。それをドームで崩してきた事は、これから先のエイトの未来に不安を思わせるくらい衝撃的な事でした。




TOPOPは私が発表当初から「コンサートで全員でやってくれたらいいのに」と言い続けていたので、おたくの理想が現実になって帰ってきた!くらいに興奮しました。
しかも最初から全員でやるのではなく、初めはちゃんと安田章大としてのソロで、プロローグオブパッチでのTOPOPをちゃんと再現してからのエイト全員登場だったのでなおよかった。
それはまるで「∞UPPERS」の世界から「関ジャニ∞」のコンサートにワープしたかのようでした。
そして「9号車2番A席」。関ジャニ∞の昔から今への変化と、変わらないものを歌った歌。
「二人の花」はジャニーズにありそうなユニット曲、そしてかっこいいダンス。でも裏を返せばオタク向けの閉鎖的な曲だったのかもしれません。でもすごくかっこいい。
そして「はにかみオブリガード」。昔のヨコヒナを歌い、そしてこれからのヨコヒナを歌った歌。
このユニット曲は今までのエイトがあってこその曲たちで、輝く明日の前にちゃんと過去がある事も歌っている。積み重ねがあって、それが今もなお生々しく残った上で明日を歌うのがエイト。




それが軒並み削られたドームセトリでは、過去もへったくれもなく今現在の関ジャニ∞になっていた。そうか、外向けのエイトになるとこういうセットリストになるのか、と半分許容しつつどこか寂しかった。
でも、二人の花とはにかみオブリガードがカップリングになったり、初回のERでユニット曲のオフショットが入ったりと、「なかった事」にする気はあまりない、むしろ、なかった事にしたくなかったんじゃないだろうか。なんだ?どうなってるんだ?エイトは何と闘い、何を守ろうとしているんだろう?(いや、本当はどこかでわかってるんだけれど。)




私はコンサートは、どこまでいってもおたく向けのものだと思っています。どんなに本人達が頑張ったってあそこに居る人たちはジャニオタと括られるべきだとも思っています。でもコンサートの楽しさ、クオリティをもってしてアイドルは社会的に売れるべきだし、それをライブDVDにするときは一般向けに仕上げるべきだとも思ってます。この矛盾と向き合いつつ、本人達がこぞって”ホーム”と言い、そしてファンにそう言われる”コンサート”と言う場でアイドルは闘い続けねばならないのだと思います。



そしてそれを”ファン”として見守る立場は果たしてどこまで幸せなんだろう。”ファンであること”が幸せだとか不幸せだとかなんて考えた事もないけれど、いつか過去のものとしてこんな風に、文章にできる日がくるのかな。うれしいな。さみしいな。